多摩川スピードウェイ跡の歴史と移り変わり

1936(昭和11)年に日本そしてアジア初の常設サーキットとして
多摩川河川敷に誕生した「多摩川スピードウェイ」

かつてその跡地には全長300mに及ぶコンクリート製の観客席が
産業・文化の遺構として残されていました。

地図

当時は1周1,200mのコースが整備され、
そのメインスタンド横に堤防の斜面を利用した観客席が設けられました。
長さは300m以上に及び、3万人もの観客を収容したといいます。

第1回全日本自動車競走大会の様子

第1回全日本自動車競走大会の様子

1928(昭和13)年まで計4回の自走者レースが開催され、
第1回大会には本田技研工業の創業者・本田宗一郎もドライバーとして参加、
驚異的なスピードを出したという有名なエピソードが残っています。

また1967(昭和42)年まで続いた丸子多摩川花火大会の際にも多くの観客で賑わったと言い、
以降も多摩川の遺構、憩いの場として地域住民に親しまれていました。

■2021年10月撮影

しかし、昨今の台風の影響を受けて周辺の堤防強化工事が行われることが決定。
当初はこの階段も全て撤去の方向で話が進んでいたようです。

そのような中、同施設の歴史を伝える「多摩川スピードウェイの会」は
国交省に計画見直しの申し入れを行う等保存に向けて熱心に活動を続け、
その結果、観客席の一部と記念プレートは無事に移設保存されることとなりました。

10月に撮影に赴いた際は階段や周辺の景色を眺めたり撮影する方の姿も多く、
解体間近の遺構を惜しむ人々の想いが伝わってくるようでした。

■2021年12月撮影

11月から階段の解体・撤去が着手され、2022年3月末に完了予定とのこと。

その姿が失われてしまったことは大変惜しまれますが、
当時の人々の熱狂する様子やここで紡がれてきた歴史、
そしてそれらを遺そうと取り組んできた人々の情熱に想いを馳せながら
工事終了までの経過を見守りたいと思います。

<参考>
・羽田猛(2015)『中原街道と武蔵小杉〜写真で綴る周辺の今昔~』
・多摩川スピードウェイの会 公式Facebook