10月13日(月・祝)に、「丸子の渡し祭り」が多摩川(丸子橋付近河川敷周辺)にて今年も開催されます!
「丸子の渡し」は、多摩川を渡るための「渡し船」です。
かつて東京都側は大田区田園調布本町の辺り、神奈川県側は川崎市中原区上丸子八幡町辺りに船渡場が存在し、江戸時代以降に神奈川と東京を結ぶ交通手段として、人々や牛馬、生活物資を運ぶ重要な役割を担っていました。

丸子渡船場(大正10年)
1934年の丸子橋開通に伴い、丸子の渡しは役目を終えました。
この歴史や文化を後世に語り継ごうと「丸子の渡し祭り」は始まり、今年で第12回目を迎えます。
イベントの目玉は、渡し船体験!
昔の人々の気持ちになって、歴史に思いを馳せてご乗船ください。

過去の開催の様子
乗船券販売(午前10:00~/午後13:00~)なくなり次第終了
乗船料:中学生以上500円/小学生300円、未就学児無料、保護者同伴必須
※3歳未満は乗船不可
その他河川敷ではお囃子や大道芸、バルーンアート体験やお菓子釣り、無料ガチャなどの
イベントが予定されており、鮎の塩焼きの販売もあるそうです!
また、今年は「多摩川で和むe体験」も同時開催!
パークボール体験や、約20種類以上の体を使って遊べる遊具が集まる「プレイグリーンパーク」、起震車体験などができるそうです。
多摩川の豊かな自然と、盛りだくさんの楽しいイベントにご家族で是非足をお運びください。
第12回丸子の渡し祭り
川崎市 丸子の渡し祭りHP
日時:2025年10月13日(月・祝)10:00~*小雨決行
主催:丸子の渡し復活協議会
問合せ:とどろき水辺の楽校
TEL 090-5814-9604(鈴木)
9/27(土)にKosugi 3rd Avenueサウスパークにて「サードアヴェニュー縁日」が今年も開催されました。
昨年から始まったこの縁日は、地元法政通り商店街とサードアヴェニュー住民ボランティアの皆さんの協力のもと開催する、賑やかな屋台が並び親子3世代が楽しめるイベントです。
金魚すくいや、ヨーヨーつり、スーパーボールすくい、綿菓子、かき氷、フライドポテトや玉こんにゃくなど沢山の屋台が多数並びました。
今回の人気は、金魚すくいとヨーヨー釣りで早々に完売となった屋台もありました。

金魚すくいにも長い列が

光るヨーヨー釣りは大人気!

綿あめはとても大きくて、受け取った子供たちは大喜びでした!
また、会場には川崎ブレイブサンダースのマスコットキャラクターのロウル君がサプライズで登場!


さすがプロバスケットボールチームのキャラ!
ポーズも格好よく決まっていました!
今回も開催にあたっては、多くの企業のご協賛にいただき大変盛況なイベントとなりました。

協賛企業一覧

開催の挨拶をする安藤縁日実行委員長
これからもKosugi 3rd Avenueは武蔵小杉駅前に、人々の賑わいとつながりが生まれる空間を育んでまいります。
Kosugi 3rd Avenue縁日(開催終了)
日程:2025年9月27日(土)16時~19時
会場:Kosugi 3rd Avenue サウスパーク
主催: コスギ サード アヴェニュー縁日実行委員会
協力:法政通り商店街
後援:川崎市中原区・武蔵中原観光協会・川崎FM(79.MHz)
先日の三連休の9月13日(土)、14日(日)に今年も小杉神社例大祭が開催され、本宮の14日(日)朝にGATE SQUARE小杉陣屋町の陣屋門プラザでは神輿と担ぎ手の皆様をお迎えしました。
一足早く到着したのは、陣屋町1丁目のこども神輿です。
多くの自治体では少子化によりこども神輿の担ぎ手が少なくなっているとのことを耳にしますが、陣屋町は新住民の方も多く沢山のお子さん方が笑顔で元気いっぱいに町内を練り歩いていらっしゃいました。
今年も、当社社員一同とご協力いただいた皆さんで揃いの法被を着て準備を進めました。

到着前におもてなしの準備


準備も整ったところで、GATE SQUARE小杉陣屋町のご居住者の多くの皆さまにもお集まりいただき、なごやかな雰囲気の中お神輿を一緒に出迎えました。

神輿到着前の様子

今年も当社前では駄菓子すくいの催しも開催
11時前には「エイサー、エイサー」という大きな掛け声のもと、立派な神輿が到着しました!
THE KAHALA小杉陣屋町のメインエントランス前でお神輿は回転し、陣屋門プラザへは多くの担ぎ手の皆さんが集まりました。
陣屋門プラザでは担ぎ手の皆様とご見学の皆さまへ当社から冷たいジュース、ビール、麦茶を振る舞いました。

社員一同でおもてなし

大勢の方で賑わう陣屋門プラザ
今年も地元 中原区の鹿島園の梨に加え、あんぱんも準備しました。


こちらのあんぱんは、今回武蔵新城のパン屋「K-LAB」さんにお願いし小杉神社例大祭のためにできたてを皆さんに食べていただくため、当日朝から一つ一つ丁寧に作って頂きました。

当日朝、250個ものパンを配達いただきました!
パンには、原家の屋号である〇イの刻印をいれていただきました!
お配りした方からは、「とても美味しかった、また食べたいです」と好評のお声をいただきました。
武蔵新城の小さなパンの研究所 K-LAB INSTAGRAM
担ぎ手の皆さんには冷たい飲み物でエネルギーをチャージしていただき、神輿の出発の時間となりました。
当社代表の原が拍子木を打ち、お神輿は陣屋門プラザを出発しました。

出発時には当社代表の原も神輿に参加

今年も、小杉神社例大祭が盛大に執り行われました。
当社では歴史と伝統を未来へ繋ぎ、より豊かなコミュニティづくりに貢献してまいります。
9/27(土)16時~Kosugi 3rd Avenueサウスパークにて「Kosugi 3rd Avenue縁日」が今年も開催されます!
昨年に続き、法政通り商店街の皆さんのご協力による金魚すくいや、スーパーボールすくい、かき氷などの楽しい屋台が出店予定です!

昨年の様子


是非ご家族皆さんで、昔ながらの楽しい縁日をお楽しみください!
Kosugi 3rd Avenue縁日
日程:9月27(土)16時~19時
会場:Kosugi 3rd Avenue サウスパーク
主催: コスギ サード アヴェニュー縁日実行委員会
協力:法政通り商店街
後援:川崎市中原区・武蔵中原観光協会・川崎FM(79.MHz)
夏休みも終わっても今年は厳しい残暑が続いていますが、今年も9月13日(土)・14日(日)に、小杉神社例大祭が開催されます!
小杉神社は等々力緑地の南に位置し、天照大御神と日本武尊を祀る歴史ある神社であり、例大祭は例年9月の上旬に開催されており古い歴史をもつ祭礼です。
「神輿」は「神の輿(こし)」という名の通り、神社に祀られる神様が一時的に宿る乗り物です。
神輿が街を巡ることで、地域の厄を払い清めると信じられています。

2024年陣屋門プラザ神輿到着の様子

9月14日(日)午前10:45頃、GATE SQUARE 小杉陣屋町の陣屋門プラザへお神輿が到着予定です。
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かつてこの地にあった原家旧母屋では、祭りの際に神酒所となり陣屋門で神輿を出迎え、梨を振る舞いました。
今年も陣屋門プラザでは神輿の担ぎ手の休憩場所としてご協力させていただきます。
地元中原区産の梨やお酒、ジュースなどを準備しお神輿の担ぎ手の方のみでなく、ご見学の皆様にも振る舞う予定です。

2024年陣屋門プラザでのもてなしの様子

今年もお子様向けには、「駄菓子すくい」のミニ縁日も開催予定です!

また、当社ギャラリーでは小杉神社例大祭にあわせ例大祭や原家にまつわる歴史の特別展示も開始しております。
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伝統ある地元のお祭りの熱気を感じられる楽しいお祭りですので当日は是非皆さまお誘いあわせの上、陣屋門プラザへお集まりください。
原マネージメント一同でお待ちしております!
◇小杉例大祭神輿渡御◇
日 程:9月14日(日)
時 間:宮出し 午前8時
宮入り 午後5時
※GATE SQUARE 小杉陣屋町の陣屋門プラザ(中原区小杉陣屋町1-15-20)への神輿到着は9月14日朝10時45分頃を予定しています。
神輿渡御の状況により、到着時刻が前後する可能性がございます。
今年は、終戦から80年を迎える夏です。
各地でも平和への祈りを込めて、慰霊が行われています。
原家に代々伝わるこちらの懐中時計は、アメリカ最古の時計ブランドであるウォルサム社が1913年頃に製造し原家9代目 文次郎が所有したものです。
時計のケース裏には「金報国 皇紀2599」の刻印があります。
皇紀は神武天皇が即位したとされる年(紀元前660年)を元年とする日本の紀年法で、皇紀2599とは、1939年(昭和14年)のことです。
この懐中時計は、もともとは純金製のケースでしたが太平洋戦争間近の1939年、産金法による国の金買い上げ令に応じ文次郎が供出し、現在のニッケル製のケースとなっています。
1891年(明治24年)に完成した原家旧母屋は、幸いにも太平洋戦争の戦火を逃れました。
旧母屋内には、防空壕があり空襲の際は一家がそこに避難したそうです。
こちらは原家の一家(いっけ・親戚)に残る自宅敷地内にあった防空壕の写真です。
こうした原家に関わる物からも、戦時下の当時の様子が伝わってきますが、
GATE SQUARE小杉陣屋町が所在する川崎市中原区にも戦争の名残がある場所があります。
グランツリー武蔵小杉からも程近い中原区木月住吉町には、市民の憩いの場である「川崎市平和記念公園」がありその一角には「川崎市平和館」があります。
1935年以降、武蔵小杉周辺には多くの企業の工場が進出する中で、川崎市平和記念公園の一帯は水平儀、コンパスなどを製造する「東京航空計器」の工場でした。
こうした企業の工場は、戦時下では軍需工場として重要な役割を果たしました。
1945年4月15日未明から16日の川崎大空襲では、川崎市南部(現在の川崎駅周辺)が壊滅的な被害を受けましたがここ中原区でも、この「東京航空計器」や「日本電気(NEC)玉川工場」や「東京機械」などがB29の焼夷弾役21,000発により焼失しました。
この「東京航空計器」工場は、終戦後1945年12月には米軍に接収され「木月米陸軍出版センター」として使用されました。
出版センターでは、アメリカ軍の広報文書の他ベトナム戦争で投下されたビラや、偽札なども印刷されていたと言われています。

ベトナム戦争で配られた米軍のビラ

偽札
米軍が進駐を続ける中、印刷所の向かいには1950年に東住吉小学校が開校し、1967年には米軍基地関係者の車に小学生が轢かれる痛ましい死亡事故がありました。
小学生達の安全を守るため、地元住民達の声により建設をされたのが、こちらの平和館の目の前にある歩道橋です。

木月歩道橋(中原区木月住吉町33付近)
これまで付近を通っていて、なんでここに歩道橋があるのかな?と不思議に思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?
歩道橋建設のため米軍へ接収地の一部返還の要求が発端となり、全面返還運動に繋がり、1975年にようやく印刷所が返還され一帯は「川崎市中原平和公園」として生まれ変わりました。
川崎市平和館では川崎市の戦争被害について常時展示で詳しく紹介している他、今年は終戦にちなんだ企画展も実施されます。
身近に残る戦争の爪痕をきっかけに、この夏是非ご家族で戦争の歴史と平和についてお話してみて下さい。
【川崎市平和館】
住所:川崎市中原区木月住吉町33-1
開館時間:9:00~17:00
公式HP
いよいよ梅雨も明け、夏休みシーズンの到来です。
原家旧母屋の既存樹を中心として、緑溢れるGATE SQUARE小杉陣屋町ではKAHALAガーデンや陣屋門プラザを始めとし、植栽管理に力を入れています。
昨今の猛暑や天候不良により植物へも厳しい環境が続いていますが、生き生きとした植物たちを守るため日々社員一同で目を配り、専門家の皆さんのアドバイスを受けながら成長を見守っています。
GATE SQUARE小杉陣屋町は、今年竣工後10年を迎えました。
KAHALAガーデンもこの10年で、木々がこんなに大きくなりました。
写真右手の一番大きな樹がヒマラヤ杉です。
写真中央奥には3本のカツラの木が、シンメトリーな美しい樹形でシンボルツリーとして植樹されています。
昨年より左手側のカツラの葉の付きが良くなく、水遣りの頻度を増やしたり栄養剤を投与したりして日々様子を見守っていましたが、今年の春も残念ながら葉が思うようにつかずこの度、枯れてしまった一部を切除しました。
切除にあたっては、現在GATE SQUARE小杉陣屋町全体の植栽管理を依頼している「サカタのタネグリーンサービス」さんにお願いしました。
職人さんが、ハシゴを使い器用にカツラの上部にたどり着きあっという間に剪定がされました。
枯れた部分の枝が無くなったことで日が当たりづらかった既存樹にも、より日光が当たるようになりました。
これからは、新たな枝を伸ばしまた美しい樹形を描いてくれることを願い見守ります。
GATE SQUARE小杉陣屋町の地域の憩いの場、陣屋町プラザにも多くの緑があります。
春にはサツキが咲き誇り、ベンチに座るとシンボルツリーのイロハモミジ越しに見える広い青空がとても気持ちのよい空間です。
こちらのイロハモミジも2年ほど前、葉の付きが思わしくなく、足元に植えた地被類を取り除き自動潅水装置を整備しました。
2年前と比べると、より葉の密度が濃くなりモミジが生き生きとしています。
陣屋門の脇の御神木であるケヤキの樹は、樹齢350年以上と推測されこちらの記事でもご紹介した通り、昨年7月に頭頂部の腐食に伴う大剪定を行いました。
ご覧の通り、現在は葉が生い茂り青々とした元気な姿です。
夏場は雑草の成長スピードも速くまた猛暑ということも有り、植栽管理作業も大変ではありますが水遣りも頻度を高めながら、当社スタッフ一同が日々経年優化の精神でGATE SQUARE小杉陣屋町の植栽を見守って参ります。
GATE SQUARE小杉陣屋町のギャラリーにて、新展示が始まりました。
今回は「中原区誕生とその変遷」・「南武鉄道の路線計画と反対運動」の2つのテーマを紹介しています。
GATE SQUARE小杉陣屋町のある川崎市中原区の誕生と成り立ちを年表と写真で解説しています。
中原区の由来は、かつて江戸時代に中原御殿(平塚市)と江戸を結ぶ中原街道の中継地として、徳川家の御殿が小杉にあったことに由来しています。
1889年、日本で市町村制の施行により、小杉・上丸子・宮内・上小田中・新城の6村が合併し、「橘樹(たちばな)郡中原村」が誕生しました。
その後、1924年に川崎町・大師町・御幸村が合併し川崎市が誕生した際にはまだ中原は川崎市には含まれていませんでした。
翌年1925年に、中原村は住吉村と併合し中原町となりました。
当時の中原では二ヶ領用水や井戸水を飲用水としていましたが水質悪化や伝染病予防のため、当時町長であった安藤安氏の貢献もあり、念願の町営水道施設が1928年に完成しました。
水道設備の維持には多額の費用がかかったこともあり、負担軽減のため打開策として、川崎市との合併が検討されました。
当時、合併にあたっては地元町会議員である安藤安氏や、小林英男氏、原正一氏(原家10代目当主)などが「大中原構想」を唱え合併活動に奔走したと言われています。
本展示では、1929年当時町会議員に立候補した小林英男氏が、後援を願った「立候補の御挨拶」も展示しています。
本資料には当時中原町が、財政難や、教育・社会福祉施設の不足、交通網の整備など様々な問題を抱えていたことが記されています。
当時の人々の、この街に対する熱意が伝わる非常に貴重な資料です。
二つ目のテーマである「南武鉄道の路線計画と反対運動」についてもご紹介します。
中原区の発展に大きな役割を果たしたのが、南武線です。
南武線は、元々「南武鉄道」として多摩川河川敷で採集された砂利を運搬するために敷設を計画されました。
当時、砂利は道路や線路に敷いたり大正時代になるとコンクリートの材料としたり、産業の発展に不可欠なものでした。
南武鉄道敷設計画当時は、多摩川沿いからGATE SQUARE小杉陣屋町のある中原街道近くを通るルートで計画がされていました。
しかし当時は蒸気機関車で、真っ黒な煙での大気汚染や火の粉からの火事を懸念した小杉の旧家の人々の猛反対にあい、南武鉄道は現在の武蔵小杉駅周辺を通ることとなりました。
今回の展示では、南武線開通当時のパンフレットであった「南武鉄道沿線案内図」も紹介しています。
こちらは大正から昭和にかけて活躍した、吉田初三郎の描いた俯瞰図です。
大きな富士山を背景に、縮尺をデフォルメした南武線沿線の町並みやセメント工場、砂利採掘場などが描かれています。
またギャラリーでは、1956年頃の武蔵小杉駅の写真も紹介しています。
第二次世界大戦中、国有化され国鉄(現JR)南武鉄道となりました。
南武鉄道と東横線は、1953年に武蔵小杉で乗り換えが可能となり多くの工場や進出し従業員が乗り降りすることで、小杉の駅前は商店街が賑わいを見せるようになりました。
是非GATE SQUARE小杉陣屋町のギャラリーにて、中原の成り立ちと歴史の変遷に触れてみて下さい。