今年は、終戦から80年を迎える夏です。
各地でも平和への祈りを込めて、慰霊が行われています。
原家に代々伝わるこちらの懐中時計は、アメリカ最古の時計ブランドであるウォルサム社が1913年頃に製造し原家9代目 文次郎が所有したものです。
時計のケース裏には「金報国 皇紀2599」の刻印があります。
皇紀は神武天皇が即位したとされる年(紀元前660年)を元年とする日本の紀年法で、皇紀2599とは、1939年(昭和14年)のことです。
この懐中時計は、もともとは純金製のケースでしたが太平洋戦争間近の1939年、産金法による国の金買い上げ令に応じ文次郎が供出し、現在のニッケル製のケースとなっています。
1891年(明治24年)に完成した原家旧母屋は、幸いにも太平洋戦争の戦火を逃れました。
旧母屋内には、防空壕があり空襲の際は一家がそこに避難したそうです。
こちらは原家の一家(いっけ・親戚)に残る自宅敷地内にあった防空壕の写真です。
こうした原家に関わる物からも、戦時下の当時の様子が伝わってきますが、
GATE SQUARE小杉陣屋町が所在する川崎市中原区にも戦争の名残がある場所があります。
グランツリー武蔵小杉からも程近い中原区木月住吉町には、市民の憩いの場である「川崎市平和記念公園」がありその一角には「川崎市平和館」があります。
1935年以降、武蔵小杉周辺には多くの企業の工場が進出する中で、川崎市平和記念公園の一帯は水平儀、コンパスなどを製造する「東京航空計器」の工場でした。
こうした企業の工場は、戦時下では軍需工場として重要な役割を果たしました。
1945年4月15日未明から16日の川崎大空襲では、川崎市南部(現在の川崎駅周辺)が壊滅的な被害を受けましたがここ中原区でも、この「東京航空計器」や「日本電気(NEC)玉川工場」や「東京機械」などがB29の焼夷弾役21,000発により焼失しました。
この「東京航空計器」工場は、終戦後1945年12月には米軍に接収され「木月米陸軍出版センター」として使用されました。
出版センターでは、アメリカ軍の広報文書の他ベトナム戦争で投下されたビラや、偽札なども印刷されていたと言われています。

ベトナム戦争で配られた米軍のビラ

偽札
米軍が進駐を続ける中、印刷所の向かいには1950年に東住吉小学校が開校し、1967年には米軍基地関係者の車に小学生が轢かれる痛ましい死亡事故がありました。
小学生達の安全を守るため、地元住民達の声により建設をされたのが、こちらの平和館の目の前にある歩道橋です。

木月歩道橋(中原区木月住吉町33付近)
これまで付近を通っていて、なんでここに歩道橋があるのかな?と不思議に思った方もいらっしゃるのではないでしょうか?
歩道橋建設のため米軍へ接収地の一部返還の要求が発端となり、全面返還運動に繋がり、1975年にようやく印刷所が返還され一帯は「川崎市中原平和公園」として生まれ変わりました。
川崎市平和館では川崎市の戦争被害について常時展示で詳しく紹介している他、今年は終戦にちなんだ企画展も実施されます。
身近に残る戦争の爪痕をきっかけに、この夏是非ご家族で戦争の歴史と平和についてお話してみて下さい。
【川崎市平和館】
住所:川崎市中原区木月住吉町33-1
開館時間:9:00~17:00
公式HP